
伝統空手
日本伝統空手協会が伝承していく伝統的な空手についてや道場訓について

伝統空手とは
空手道——それは、先人たちから静かに、力強く受け継がれてきた日本の伝統武道。
ただ技を磨くだけでなく、己を律し、人としての生き方を学ぶ“道”です。厳しい鍛錬の中で、努力と忍耐、そして自らを知る眼差しを育みます。
人間を深く学び、世の本質を見つめ、真実を貫く勇気を養うことで、人生そのものを豊かにしていきます。
空手道は、よりよく生き、真に幸せに生きるための“心の技”を育てる道。その伝統は、現代を生きる私たちに静かな光を灯してくれるのです。


二十訓
第一条
空手道は礼に始まり礼に終わることを忘るな
武道はすべて礼に始まり礼に終わるべきもの。
礼は他人に対する尊敬の念であり、自重の心である。その心なくして武技を修めなければ暴力に落ち、獣に堕ちる。「人と獣の違いは礼にあり」とも言われる。礼なき武技は武道ではなく、排斥すべき暴力である。だからこそ武道はすべて礼を持って終始することを忘れてはならない。
第二条
空手に先手なし
「刀はみだりに抜くべきものではない」ということが武士にとって最も大事な心がけであり、日本の武士道の精神である。手足は刀であり、剣である。空手において、技を見せるのは武士が刀を抜くのと同じこと。耐えられる限りは耐えるという忍耐の大切さを教えると同時に、正義のためにやむを得ないときには命も惜しまず、全力をもって武威を輝かす、その武道の精神こそ「空手に先手なし」の精神である。
第三条
空手は義の補け
人間は正義と思うときに最も強くなれるもの。
「内に省みて直くんば千萬人といえども我行かん」とは、自ら正しいと確信するときの強さを言い表した言葉。空手は手足が刀剣となる武術であるから、どこまでも正義の立場において、やむを得ないときにのみこそ用いて、その偉力を発揮すべきものである。
第四条
先ず自己を知れ、面して他を知れ
「彼を知り己を知れば百戦危からず、彼を知らずして己を知れば一生一負す。彼を知らずに己を知らざれば戦う毎に必ず危し」というのは、武道修業者の間に古くから広く知られる言葉。まず自己の長所短所をよく自 覚し、決してうぬぼれず、冷静に他の長所短所を研究察知して、万全の策を立てて戦うべきである。
第五条
技術より心術
空手道とは自己の鍛錬であり、その技術よりも精神的修業が重要である。技術ばかりを追い求め、心がおざなりになれば、自ら禍を呼び、争いごとを招く。争いごとを制する技術より、争いごとをつくらぬ心術がもっとも重要である。
第六条
心は放たんことを要す
心を引き締めておくのは初心のときのことであって、一生、心が捕らわれていては上段には登ることはできず、下段で果ててしまうものである。
よく磨いた水晶の玉は泥の中へ入れても染まらないものである。稽古のときは心が留守にならぬよう、至極のときは心は自由に解き放ってやるのがよい。
第七条
禍は解怠に生ず
「油断大敵」という言葉があるように、戦いにおいても禍は解怠=油断から生まれるということを心に銘じて、いつも自戒自省するべきである。
空手修業の目的は心身の練磨である。
第八条
道場のみの空手と思ふな
暴飲暴食や不摂生の結果はただちに道場での修業に影響し、心身ともに倦怠し、修業の成果も上がらなくなる。よって道場にいるいないにかかわらず、常に道場で修業するときの心持ちを失わず、心身の練磨を心がけなくてはならない。
第九条
空手の修業は一生である
空手道の修業にはこれで究極だというところはない。ひと通り形や技を覚えたからといって、それを継続して練磨しなくては真の修業ではない。
真の修業とは果てのない無限の道、そこで昨日よりは上手になり、明日は今日よりも上手になり、一生継続していく、これが真の空手道修業者の姿である。
第十条
凡ゆるものを空手化せよ其処に妙味あり
一撃一瞬に生死がかかる空手道の真髄を把握し、その精神をもってあらゆるものに真剣に立ち向かえば、いかなる困難も突破することができよう。
そこにおいて初めて空手道によって修練した心身への効果が現れ、その価値を味わうことができるであろう。
第十一条
空手は湯の如し、絶えず熱度を興えざれば元の水に還へる
「手習いは坂に車を押す如し、油断すれば後へ戻る」というように、すべてものごとの修業は絶え間ない精進が必要である。それによってのみ修業の効果が心身ともに実を結ぶのである。
第十二条
勝つ考えはもつな負けぬ考えは必要
「勝つこと ばかり知りて負くること知らざれば害その身に到る」とは徳川家康の遺訓である。勝とう勝とうばかり思う心持ちは、自然に焦りとなり、あまりに積極的すぎると謙遜の心を失いやすく、周囲に摩擦が強くなり自ら多くの敵をつくることになる。内心には誰にも負けぬだけの倉念と実力
を持ち、外へは温和な「外柔内剛」こそ、空手道修行者の心構えでなくてはならない。
第十三条
敵に困って転化せよ
水は平地ではゆるやかに流れ、急斜面では激しい流れとなり、崖では飛び散る。地によって流れを変える形のない水の如く、敵によって臨機応変に変化していく、それが戦いに対しての心構えである。
第十四条
戦いは虚実の操縦如何にあり
「郷に入りては郷に従へ」というように、戦いにおいては、敵の力の強弱、体の伸縮、技の緩急によって自分も同じように変化し、その操縦をうまく行っていれば勝利は我にあり、ということ。
第十五条
人の手足を剣と思へ
空手道によって鍛錬された人の手足は剣と同様の威力を持つもの。人はいざというときには本能的に思いがけない力を発揮する ものであるから、誰の手足もまた剣と思うべきである。ゆえに自分の腕前を鼻にかけて高慢になることなく、常に言動に慎み、事あるときは決して相手を侮らず、油断なく我が身を守ることを心がけなくてはならない。
第十六条
男子門を出づれば百萬の敵あり
門を出たら油断は大敵。言葉や態度の不謹慎のために誰かから難題を持ちかけられたり、不注意で事故に遭ったり、いつなんどき禍に巻き込まれたりするかもしれない。よって、人間一度門を出たら、百万人の敵の中に入っていくのだと思って、しっかりと腹の底の猫を強く引き締めていかなくてはならない。
第十七条
構えは初心者に、後は自然体
初心の間は構えに習熟するよう励むべきであるが、その構えに心が止まっては技を変化させ有効に使うことができなくなってしまう。よって、修業が進むにつれて構えにとらわれずに変化自在なれ、ということ。第六条の「心は放たんことを要す」と併せて考えるべきものである。
第十八条
形は正しく、実践は別物
形は古くから空手道の達人たちが大事に保存してきたものであり、形には各種の技法が織り込ま れているので、形の稽古や演武は正しく師に従うべきである。しかし実践は形にとらわれているようではだめで、敵によって変化し形を自在に操るべきである。
第十九条
力の強弱、体の伸縮、技の緩急を忘るな
これを考えずに形の演武をしても意味のないものになってしまう。実践の場合でも、力の強弱、体の伸縮、技の暖急が、いかに戦うかの具体的内容となるものなので、不覚をとらぬよう、よく心がけておくべきことである。
第二十条
常に思念工夫せよ
この条項はすべての二十ヶ条の結論というべきものであり、精神面でも技術面でも「常に深く考え工夫せよ」ということ。わずかに五年や十年の片手間稽古で天狗のように慢心しては、自らをあやまり、道を毒することにもなる。慢心や怠慢は進歩の足に絡む鉄のおもりのようなもの。これに足をとらわれないよう常に自戒自省しつつ、思念工夫を怠らぬことこそ、その道を志す者の心構えでなくてはならない。